【コミュ障が辛い人へ】他人と関われなかったコミュ障がナンパを通じて彼女を作るまで

こんにちは、こんばんは

たいこうです。

これまでもたくさん言ってきた通りですが、僕はコミュ障です。
今でもかなり意識しないとコミュ障な自分がでてきます。

・飲み会が苦痛で仕方ない
・飲み会ではいつも端っこに座らないと落ち着かない
・気づけばいつも自分の周りに人がいない
・飲み会で隣りだった人も必ず僕の隣から去っていく
・集団の中で発言をほとんどしない
・何を考えているか分からないと言われる

素の自分でいるとまずなwといつも思ってます。

ただ僕は生まれたときから今ほどのコミュ障だったわけではありません。
寧ろ子供の頃は今とは比べ物にならないくらい、活発で活動的でした。

思春期を通じていつしかコミュ障になってしまった僕が
社会の中でどう居場所を見つけ彼女を作れるまでになったのかを今日は書いていこうと思います。

僕はもともと活発な子だった

フリー写真 水溜まりの中に入る子供

小学生の頃の僕は明るく、活発な子でした。
学期ごとに渡される通信簿でも「明朗活発」のようなことがよく書かれていた気がします。

集団の中で発言することも何も怖くなかった。

寧ろ、僕の発言で皆が笑ってくれることが嬉しかった。
僕自身、友達や先生との会話が楽しくて仕方ありませんでした。

学校にも始業の1時間前には行く、休み時間、放課後には必ず友達と遊ぶなど活動的な子供だったのです。

 

 

活発な中にも見えた、コミュ障の影

フリー写真 クレヨンとお絵かきする子供

とは言え、この活発な少年期の僕にも苦手なことがありました。

それは、自分から友達を遊びに誘うこと。

え?クラスでよく発言するような子なのに本当?
と思われそうですが、本当なんですw

皆が集まる場があれば、そこで楽しく過ごすことができた僕ですが、
自分からその場を作るのは苦手でした。

妙なプライドがあったんでしょうねw

誘われたい、という受身の姿勢が常にこの頃からありました。

もともと僕自身、一人っ子で自分から何もしなくても、
親や祖父母が構ってくれたので、その影響もあるかもしれません。

当時は携帯電話もない時代、友達の家に遊びの電話をかけることが、とても億劫だったことを覚えています。

また人と衝突すること、言いにくいことをはっきり相手に伝えるのも苦手でした。

僕は少年野球チームに参加していたのですが、この活動も苦痛で仕方ありませんでしたw
幼馴染と一緒に入った少年野球チーム、幼馴染がうまくなる一方で僕は中々上達せず、野球自体が嫌になりました。

この辺にも、プライドの高さが現れていますよねw

うまくいかないことがあるとすぐに投げ出す、
誰かと比較され自分が評価されない場にはいきたくないというところに、それが現れていると思います。

2年活動して辞める意志を固めた際も、中々言えだせず、
チームのキャプテンから「辞めないで欲しい」と電話があったときも曖昧な返事をして結局親が伝えたような、弱い一面も持っていました。

ちなみに余談ですが、一緒に野球を始めたこの幼馴染はその後、甲子園に出場していますw

 

 

自分の弱さを自覚することなく迎えた、青春期

フリー写真 鉛筆と本と時計などの学校のイメージ

その後僕は私立の中学校へ受験します。
この決断も、親が勝手に僕を私立中学へ入れたいが為に無理やり受験させられたものでした。

このときも僕は地元の友達と離れ離れになるのが嫌で仕方ありませんでした。
親には反対意見を伝えるものの、結局最後は断り切ることができずに受験し入学した学校です。

この頃からも分かるように、僕は人を楽しませることは好きでしたが、
反面嫌なことや怒ると言ったマイナス面の感情表現がとても苦手でした。

なんとなく相手に悪いな、相手が嫌な思いをさせたくないと言えば聞こえはいいですが、
単純に怖かったんですよね。相手のマイナスな感情に接することが。

他人との衝突をあまり経験することなく迎えた中学生でしたが、最初の3年間は楽しいものでした。

小学生の頃から変わらず、クラスではムードメーカーで、発言数も多く活発でした。

授業や文化祭、体育祭といった課外活動も積極的に取り組み、無遅刻無欠席。
相変わらず学校にも早く言って友達と話すような少年でした。

ただ一方で小学生の頃からの変化もありました。

僕のことを快く思わない、
授業でふざけている僕を見下したり馬鹿にするような人も現れたのです。

僕は、プライドが高いため馬鹿にされたりいじられたりするのがとても嫌いでした。

笑わせるのは好きでしたが、笑われるのはとても屈辱的な感情を伴います。

それでも僕は、皆の前で怒りの感情を出すことが相変わらずできず、
その場をヘラヘラ笑ってごまかすような人間になっていたのです。

そうなると、馬鹿にしてくる人間はもっと馬鹿にしてきます。
あいつは何を言っても怒らないだろうと、更に言動がエスカレートしていきます。

僕の内に溜めたストレスや感情も蓄積する一方でした。

そして沸点を超えると耐えられなくなり、キレる→相手もびっくりする→気まずくなる

気まずくなっても、僕は自分から声をかけることは決してなく
その人とは気まずいままで終わりました。

相手との関係性の構築、自分が思ったように扱われないことに、僕は少しずつ絶望していくのでした。

 

コミュ障=恋愛とも無縁の日々

フリー写真 教室で頬杖をつく女子大学生のポートレイトそんな日々を繰り返し、いつからか僕は授業中に発言することが少なくなっていました。
笑うことも減りました。

発言すればナメられると思うと、目立つことが怖くなっていたのです。

そうなると当然、自分の印象はなくなりモテとも無縁になってきます。

学生時代にモテるのは、やっぱり良くも悪くも「目立つやつ」だからです。
ヤンキータイプも、部活でめっちゃ活躍する人、成績が抜群にいい人、クラスを盛り上げられるムードメーカー

かつてはムードメーカーだった僕も、高校生になるくらいにはすっかり大人しい人間になっていました。

そもそも話題にすら登らなくなり、
感情表現が苦手なため「何を考えているか分からない、ヘラヘラしたやつ」というレッテルが貼られました。

また僕は、自分のことを知るのがとても怖かった。
自分が周りにどう思われているのか、自分が思っている以上に悪い評判を聞くのが耐えられなかった。

たまに小耳に挟む僕の話は、大抵いいものではなかったため、益々他人との接触を割けるようになりました。

関係性が築けるのは、こんな僕にも優しく接してくれる人や所謂ヒエラルキーの下に位置する人だけ。

他人に何も与えようとしない僕にも優しく接してくれるような人は人気があるため、
当然僕よりも他の人のところへいく。

他人を信用できなくなり、親や教師にも心を閉ざし、他人と関わる機会を持たなくなりました。
友達ってどうやればできるんだっけ?
学校で人と関わることってこんなにつまらないものだっけ?

そう、僕は気づけばコミュ障になっていた。

 

 

コミュ障が突き進む勘違いへの道

フリー写真 坂道に立つ男性の後ろ姿
その後大学へ進学するも、期待とは大きく異なる人生を送ることは変わりませんでした。

僕は大学に行けばすべてが変わると思っていました。

辛かった高校生活も終わり、僕を知る人もいなくなり、またリセットして楽しい生活が送れると。

確かに大学の皆はいいやつばかりで、旅行やバイトに明け暮れるような楽しい毎日を過ごせました。

ただ、プライドの高さは相変わらずでしたね。
童貞であることを僕は恥ずかしく思っていました。

そしてそれをカミングアウトすれあ、また馬鹿にされると思い、
どうにもこうにも腹を割って話すという関係性が築けなくなっていました。

楽しいんだけど、表面的でどこか心から楽しめていない、という自分がいました。

コミュニケーション能力が著しく低下している上、ルックスや頭の良さもいまいちな僕には当然彼女はできませんでした。

それなりにバイトや活動を頑張る、意を決して告白してみるものの、相手のことが全く見えていないため撃沈を繰り返すのでした。

また僕は、この頃から集団への関わりがとても苦痛になっていました。
バイトであれば、バイト後の飲み会や遊びに参加するのがとても億劫でした。

「バイトで疲れているし、早く帰りたい。帰ってエロ動画でも見たい」
これが僕の思考回路でした。

バイト先へはお金も勿論ですが、出会いを求めていたので同年代が多く、交流も活発でした。

僕は付き合いが悪く、すぐに帰ることが多かったため、結局馴染めず集団から浮く存在になっていました。

学校では楽しく過ごせていたものの、職場ではまったくと言っていいほど人間関係が築けず、女性と仲良くなることもできないまま終わりました。

 

 

社会人になってコミュ障が爆発する

フリー写真 会社の会議室の風景
学生生活のときはコミュ障でもそれなりに楽しく生きてこれました。

バイトでも嫌なことがあれば辞めればいいし、大学でも苦手な人は避けていれば特に困ったことは起こらない。

ただし、社会人になるとそうはいきません。

仕事が一人でサクサクできれば問題ないですが、僕はそこまで優秀ではありませんでした。

となると、必ず教えを乞わないといけないし、その人が必ずしもいい人とは限りません。

また社内の飲み会もとても苦手でした。

1対1のコミュニケーションならまだしも、
集団になるととても苦手意識のある僕は発言などまったくできず孤立していました。

必要以上にトイレに立ったり、スマホを見たり、
輪に入っているように見せかけて話を聞いているフリだけしたり

そうなると当然僕も楽しくないし、何より誰とも仲良くなることはできません。
新卒の際は先輩や上司が優しい人だったため声をかけてくれることも多かったですが、
次第にそれも減っていきました。

僕は集団というものにまったく馴染めず、孤立する人間になっていました。

バイトとかだったらそれでも良かったんですが、
社員にもなると会社での集まりや仕事も連携して行うため
どうしても孤立していると支障がでます。

そして僕はまだ社会人歴が浅いというのを言い訳にし、
仕事ができるようになる努力をまったくしませんでした。

主体的に動くこともせず、声をかけられるのを待ち、自分からは何もアクションを起こさない。
雰囲気を盛り上げることもしない、たまに馬鹿にされて笑われるだけの存在でした。

 

 

コミュ障の自分を変えるべく一念発起して始めたのがナンパ

フリー写真 ベンチの上で横座りしている女性のポートレイト
そして僕は、ストリートナンパを始めることになります。

経緯は今まで書いてきた通りですが、このとき僕はこのままだとダメになると心の底から思ったことがきっかけです。

生きていて全然楽しくないし、このままじゃなにもない人生で終わる、本気でそう思っていました。

悩みや苦しみの原因を考えると、圧倒的な恋愛コンプレックスがあるためだと考えていました。
・彼女ができたことがないから、人として劣っている
・劣っている自分だから馬鹿にされる
・劣っている自分を隠したいから、腹を割って話せず周囲と仲良く慣れない。

当時はこう考えていたんですよね。

いま思えば、「大した人間でもないのに自分を大きく見せようとするそのマインド」こそが原因だと分かるんですけどねw

当時は彼女ができればすべてが変わると思っていました。

そしてこれは、僕にとっての大きな挑戦でした。
これまで書いたとおり、僕はプライドが高い人間です。

そんな僕がナンパするというのは、精神的にとてもハードルがあったのです。

・ナンパなんてしなきゃいけない自分がかっこ悪い

この期に及んで僕はまだ、自分は価値のある人間だと思っていましたw

そんな僕が始めたナンパだから、地蔵の原因もやっぱり「他人の目が怖かったから」
当時の僕はとにかく他人からの印象を気にしていました。

・変な人と思われているんじゃないか
・あんなやつがナンパしてるよ、だせー

というようにビクビクしながら声をかけていました。

まあ自信がなかったから当然と言えば当然なのですがw

ただ合流やナンパ塾に入るなどして活動自体は続けていった結果、開き直れるようになりました。

「もうどうにでもなれよ!」

割と僕の中では精神的な壁が大きかったナンパも、いつしか普通にできるようになっていました。

 

 

彼女ができ、少しずつ集団に溶け込めるように

フリー写真 海水浴にはしゃぐ若者たちの後ろ姿
こうしてナンパを始めて僕は少しずつ変わっていきました。

というよりは、コミュ障の本質自体は変わっていません。
変わっていませんが、自分から行動を起こせるようになったというのが正しい表現です。

やっぱり、性格や思春期に身についてしまった歪みを完璧に治すのは簡単なことではありません。

それでも、僕はなんとかここまでやってこれました。

・飲み会でも常に孤立していた自分が
・自分から何もできず受身だった自分が

ナンパで少しずつ変わっていったのです。

思えば僕は、自分のことだけを考えていました。

・自分が寂しいから遊びに誘って欲しい
・自分が苦しいから助けて欲しい
・自分が暇だから会って欲しい
・自分が孤独だから連絡が欲しい

などなど

そして僕は他人を求めているのに、他人に対してまったく興味がなかった。
相手がどんな考え方をしているのか、どんなものが好きなのか、どんな性格なのか

他人に求めるくせに、他人がいないと生きていけないのに、
僕は自分のことしか考えていなかったことに、ナンパを通じてようやく気づくことができました。

・遊びに誘ってほしいではなく、自分から誘ってみる
・助けてほしいではなく、自分に何かできないかと考えて実行する
・相手が返事をしやすいような時間帯や文面で連絡する

コミュ障が問題なのではなく、

突き詰めると「他人に興味がない」ことこそがあなたを生きづらくしているんです。

勿論、一人で稼げて一人で何不自由なく生きていければ大丈夫です。

ただ僕を始め多くの人が、他人と関わらないと生きていけません。

他人が必要なら、助けを求めるなら、自分から声をかける。

コミュ障の僕が社会的に生きていくために必要なのは、自分から声をかけるまさにナンパそのものだった。

コミュ障のあなたでも、ナンパはできます。
コミュ障を克服するというより、コミュ障のままのあなたでも、他人と関係性を構築できるのがナンパなのです。

集団にいることが苦手でも、1対1なら随分関係性を築きやすくなる。

たくさんの人から学んで、自分から声をかけられるようになれば、会社でも集団でも自ら動くことができるようになります。

仕事を教えてもらいに苦手な人に話しかけるのも、飲み会でも自分から輪に入っていくことができるようになりました。

そして懸命に活動していくうち、彼女もできました。

これも僕が優れた能力を持っていたというより、ナンパを身に着けてひたすら声をかけ続けた成果だと思っています。

自分を成長させつつも、今の自分にとって必要な人との出会いを自ら作っていくのもまたナンパなのです。

僕もまだまだですが、これからもナンパを通じて少しでも居心地よくこの人生を全うできるようにがんばります。

自分に自信がない、コミュ障だけどそんな自分を変えたいという人は、自分から声をかけてみてください。

コミュ障かもしれないけど、今を共に精一杯生きていきましょう。

コミュ障ならコミュ障の自分を受け入れて
少しでも充実した人間関係を築けるように。

少しでも楽しかったと思える人生を送るために。

たいこう

恋愛を制するものは人生を制す

 
僕は23歳から女性にモテる能力を高める『鍛恋活動』を始め、
これまで累計100人以上の女性とベッドを共にしてきました。
 
そう言うと
 
「お前はどうせもとからイケメンで、
しゃべるのも上手かったんだろ?」
 
と思われるかもしれません。
 
ただ、僕はもともと女性にモテていたわけでも、
イケメンだったわけでも、
ましてやしゃべるのが得意だったわけでもありません。
 
むしろ真逆。
 
スポーツや勉強、すべてが平凡で自信のない、
ただのコミュ障。
 
おまけに23歳まで彼女ナシ、素人童貞という
吉粋の『非モテ男子』でした。
 
ただ、そんな僕も今では
モデルや女優のような美しい女性とデートやセッ○スを存分に楽しめるようになりました。
 
そして、誰もが羨む美女を彼女にでき自信がついたことで、
今ではモテるだけでなく独立起業することにも成功しました。
 
恋愛もビジネスも結局は
「慣れ」なんですよね。
 
美女と話すことに慣れて、
どんな時でも男らしく堂々と振舞えるようになれば、
誰でも必ずモテるようになるということです。

 
そこで、もしあなたが女性問題を解決し、
人生を変えることに興味があれば、
 
僕たいこうが雑魚過ぎたメンタル(=「心体力」)を鍛え直し、
過去のひどすぎた女性コンプレックスを解消した過程を公開しているので
下記の記事をぜひ読んでみてください。
 
23歳素人童貞からモデル級美女を彼女にし、100人切りを達成できた僕たいこうの理念
 
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ccmail

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